上山ラプソディ

加勢鳥レジェンド

♯18

加勢鳥レジェンド

鈴木邦男さん

全身を藁に包まれ、顔の一部と手足が4本出ている奇妙な出立ちで有名な上山の奇祭・加勢鳥。その風習を今に受け継いできた立役者の邦男さんは、保存会の会長を退いてからも、自身が守り続けてきた祭りを見つめ続けている。

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「やってくれないか」の一声から

江戸時代初期から火伏や商売繁盛、五穀豊穣を祈願する風習として受け継がれてきた加勢鳥は明治以降途絶えていたのですが、戦後に郷土史研究家の萩生田先生という方が復活させたそう。私も昭和50年に消防団として関わることになり、10年くらいお手伝いしていた。当時はカッパの上に「ケンダイ(ミノ)」を被って長靴を履いて、朝から暗くなるまで約9kmの道のりを練り歩いていた。夕方になるとケンダイに氷柱ができるほどの寒さ。特に振り付けかったし、ただ「カッカッカー」とって練り歩くだけで、楽しさはなかったね。そして昭和61年、当時の協会で続けていくのが困難になり、私に「やってくれないか」と声がかかった。でも自分がこれから続けていくのであれば、このままじゃダメだと。青年団の仲間約30人に協力を仰いで新たな保存会を結成しました。

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中途半端なものにしたくない

続けていくならば、伝統芸能を素人の自分たちが好き勝手にアレンジしてはいけない。ちょうどその頃、上山で秋田の劇団わらび座の公演が開催された縁で、昭和62から2年間わらび座に出向き、振り付けと笛太鼓の制作をお願いしました。そして法被のデザインにもこだわった。当時上山に在住していた小川紳介さんというドキュメンタリー映画監督と親しくなり、知り合いのデザイナーを紹介してもらって、自分たちが考えつかないものを作ってくれた。

そして、平成元年に竹下内閣のふるさと創生事業で地方に1億円ずつ交付した時期があって、これに応募したところ、加勢太鼓のチームを作るための財源ができた。勇壮なものがあると人が集まるのではないかと。結果的には女の人がたくさん申し込んでくれて、加勢鳥の楽隊が結成されたんです。

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加勢鳥を広げていくための苦行

上山に加勢鳥を浸透させるには街中だけの行事じゃまずいと、当時観光協会にいた梅津くんと私の2人で、平成2年から上山にある家を一軒一軒回る「出前加勢というのをやり始めました。上山全域を制覇するために年間400軒回り、平成23年まで最終的には1万軒回りました。伝統的なやり方を再現するためにカッパではなく、裸の上にケンダイを着たのですが、初めて藁の痛さを知りました。藁で擦れて乳首から血が出るわ、素足にわらじを履いていたので足は出血するわ。それがきっかけで、乳首に絆創膏を貼ったり軍足履いたりするようになりました。2人だけでは大変だったので、4人、6人と増やしていき、全軒回るのに22年かかりました。2月の本行事の前にやってい、吹雪の中、蔵王の坊平まで行ったこともある。

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死ぬまで会長やってくれ

4、5年したら私と同年代の40歳近くの人たちが、半分くらい辞めてしまった。会員を募るのも大変だったが、加勢鳥に閑古鳥が鳴いているとマスコミ各社を通じて発信したところ、県外からも参加したいという人たちが集まり始めた。山形大学生のインターネット発信が追い風となり、全国から人が集まってくれました。今でもそのメンバーが主体となっていて、長い方は25、6年になります。学生だったメンバーは結婚し、最近は子供を連れて参加してくれています。

私も10年すれば会長を辞めなきゃいけないかなと思っていたけど、メンバーからは死ぬまでやってくれと。でも57歳くらいの時に心筋梗塞で倒れたのよ。それで次の代に任せることに。

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誰もが楽しい加勢鳥を次世代へ

もともと人付き合いは苦手だったけどね、人に恵まれた。たまたま加勢鳥を引っ張っていく役割が与えられて今日がある。参加者に飲み食いだけはさせたよ。自腹も切った。2次会、3次会まで行けば万単位で、それが何人も(笑)。でも、それくらいしないと人はついてこないし、綺麗事だけではうまくいかない。

我々も観客も楽しいのが一番。昔の通りやっていたら途絶えていたかもしれない。ある程度手を加えて、アイデア出しながら発展させないと。でも出鱈目にやってはいけない。歴史に基づいてしっかり受け継いでいく。絶やさず続けていくために、定期的に記録を本に残したり、小学校に出前授業に行ったりしています。今は断るくらい人が集まってくれるから一安心。苦労して続けてきて良かったと思ったね。

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「私の追っかけファンもいるのよ」と嬉しそうに話す邦男さん。若い女性に声かけられて写真を撮られることもあるという。「人生、そんなこともあるんだなぁ」とつぶやいていた。本業である農業でも、上山でいち早くワイン用ぶどうの生産に取り組み、現在も高品質のシャインマスカット等を生産している篤農家だ。何事も半端にせずに取り組んできた邦男さんの背中は、老若男女を問わず追いかけたくなるほど魅力的なのである。

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