♯9
蔵王で紡いできた山の暮らし
大沼邦充さん
蔵王山岳ガイド。坊平の喫茶店チェビオットの店主であり、羊飼いでもある。他にも自然公園の管理員、除雪オペレーターなど様々な仕事を兼務しているので、何が仕事かわからないと笑う。
自給自足の暮らしを求めて
自然の中で暮らしたいという想いがあり、33年前に宮城県から蔵王の坊平に移住してきました。女房も羊の毛を紡いで編み物をするのが好きでしたし、私も自給自足的な生活がしたかった。もともと坊平は幼い頃からスキーで来ていたり、上山の旅館にも泊まったことがあったので馴染みの場所でした。移住を希望した土地は国定公園内のためいろいろと条件があって、お店を始めないと住むことができなかったので、チェビオットという名前の喫茶店をオープンしたんです。
冬山の魅力
蔵王の山のガイドを始めてから、もう30年ぐらい経ちます。遭難者の救助の観点からも山の位置関係を知りたくて、年配の方から昔の様子を教えてもらったり、実際に連れて行ってもらって地形を覚えていきました。人を連れて行けないような場所に一人で行ったりもします。樹氷の時期が一番好きですね。雪でヤブが埋もれるので、かえって見通しが効いて歩きやすい。だから冬山がすごく好きで、天気が良かったらあちこち入り込んだりしています。
昔の山道を掘り起こす
それに冬は昔の道形が見えてくるんです。冷水歩道と呼ばれていた道や、女人禁制の山岳信仰時代に存在していた女性だけが通れる道など、冬の間に印を付けて林野庁に怒られない程度に掘り起こしています(笑)。昔、尾根には営林署(現・森林管理所)で管理していた山の道があったのですが今は全部消えています。以前、私たちは遭難したら山の上に登りなさいと言われていたんです。ある程度道がわかれば助かる可能性が出てくる。だから安全面からも掘り起こしたい。遭難すると救助隊は集まるけど、結局私が先頭に立たないと探せなくなる状況が実際にあって。山がわかる救助隊員も高齢化しているので、何とか山に興味のある人を増やせないかなと思っています。
蔵王のシンボル「樹氷」の危機
冬の山歩きの楽しみでもある樹氷ですが、環境の変化でどんどん見られなくなっています。地蔵岳の方は木が枯れてきているのもありますが、温暖化の影響でここ10年くらい樹氷のできる標高が上がってきています。樹氷にはエビの尻尾という意味のライムと、アイスモンスターの2種類があって、アイスモンスターはライムの集合体。山形で言う樹氷はアイスモンスターなんです。昔は長野の志賀高原から北海道のニセコまでアイスモンスターが見られていましたが、今はっきり確認できているのは西吾妻や、蔵王、八幡平や八甲田山あたり。蔵王は人の行ける高さに樹氷があるから有名なんです。地蔵岳では樹氷用に植林したりしていますが、おそらくアイスモンスターになるまで100年以上かかると思います。現在坊平のアオモリトドマツで樹氷を見ることができますが、それもだんだん枯れてきている。一番最後までかろうじて見られるのは蔵王ではないかと言われていますが…。樹氷を見るのなら今のうちですね。
人間も生態系の一部だった
日本の山は昔から炭焼きの人など、人間が手をかけてきたもの。手付かずの自然って実はないんです。今は管理する人がいないので雑木林が増えて荒れ放題になっている。そうすると猛禽類などの大きい鳥が滑空して獲物を取れる場所がなくなってしまう。生態系が変わってきています。人の手が入っていた方が山は豊かだったと思います。風通しがいいと、きのこも生えるし、光が入って小さな木が育つからウサギも餌を確保できる。これからそのサイクルがどうなっていくのか心配ですね。そんなことも山岳ガイドをしながらお客さんにお話しています。
希少な羊も守っていきたい
話はそれますが、羊飼いも私の大切な仕事です。女房の紡ぐ糸は飼っている羊の毛を使用しています。喫茶店の名前にもなっているチェビオットという品種で、顔が可愛いんですよ。閉鎖になった牧場から2頭連れてきて、いろいろな形で増やしてきました。羊飼いの中ではチェビオットというと私を連想するくらい、国内では希少な品種です。体が小さいので肉にするには割りに合いませんが、毛として使うと光沢があって美しい。この毛で編んだ手袋や靴下は山歩きに欠かせません。油が残った状態で紡いでいるので、保温性がある。救助で冬山に行くと一日仕事になるので寒くていられないですが、作ってもらった手袋にオーバーグローブを付ければ、それだけで温かい。靴下は逆に夏場の方が効果がわかりやすくて、足が蒸れないんですよ。汗を全部外に出してくれるんです。現在48頭飼育していますが、他に飼っている牧場が少ないので、血が濃くならないように残していくことも課題です。やりたいこと、やらなければならないことは常に絶えません。
たまたま条件が揃って坊平に移住してきた大沼さん。今では蔵王にとっても、羊にとっても「なくてはならない存在」だ。自然とともに生きる中で感じる環境の変化は、私たちの暮らし方にも通じている。観光のために存在してきたわけではない自然の美しさをどうしたら守っていけるのか。大沼さんと山を歩きながら考えてみたい。