上山ラプソディ

こんにゃくの発明家と研究者

♯16

こんにゃくの発明家と研究者

丹野益夫さん/丹野真敬さん

楢下宿にある丹野こんにゃくの会長と社長。山間に位置しながら、平日でもひっきりなしに車が駐車場に吸い込まれていく山形の観光名所の一つでもある。長年にわたり、こんにゃくという一見目立たない素材で人々を魅了し続けてきた親子の物語。

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山形=玉こんにゃくを広めた立役者

祖父の代から作り始めた玉こんにゃくを、全国の物産展を周って広めたのは父ですね。他の県には玉こんにゃくってないんです。昭和の終わり頃に東京ドームで販売した時は2万本くらい売れて、一斗缶が100円玉でいっぱいになったそうです。だから山形名物の玉こんにゃくと言われるのはやっぱり嬉しいですね。父は山形県を背負ってるぐらいの勢いがあったんだと思います。だからこそ、私の責任で次の世代にしっかり味の伝承をしていかなきゃという想いはあります。食文化を自分の代で都合良く解釈して変えるのではなくて、玉こんにゃくそのものの伝承を大切にしたい。けれど、やっぱそれだけでは、お客も自分たちも飽きちゃうので、その手段として、時代に合わせてこんにゃくの懐石を出したり、こんにゃく製品の開発をしているんです

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素材の限界を超えていく

日本食離れもあり、こんにゃくの消費量も減っていく危機感はあります。なので、おやつにこんにゃくを取り入れるとか、洋風でも使えるというのを見せたい。我々製造者が素材に限界を感じてしまったらそれがもう限界なんですよね素材の限界を超えていきたいです。開発した製品はこれまで600種類ほど。商品化していないものもありますが、いつかの商品の種になるので。新味は年間3つくらいですね。そのうち1つくらいが世の中に出ています。

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感覚的なこんにゃくづくりを数値化

こんにゃくづくりに関して、父や祖父が言ってることは感覚的でした。私は大学で調味料の研究していたので感覚という概念がない。でも父たちが言っていることは科学的にほぼ合ってたんです。例えば、こんにゃくのpHと醤油のpHは異なります。一緒に煮た時に食べやすくなるpHを探すと、日持ちや形などにこだわるのではなく、食べる時に美味しくなるこんにゃくの作り方をしています。そういったことを父たちは感覚で理解していた。食べる瞬間のところに合わせてものを作らないと、やっぱり誰のために作ってるかわからなくなってしまうので。

(お父さん登場)

このお店作ったのはこんにゃくの使い方を知ってもらうため。こんにゃくは昔から健康食だから。このあたりには昔銅山があって、銅山夫の砂おろしにも使われてたんだ。こんにゃくは胃で消化されないで、腸までジェル状で通過するの。そうすると腸の中をモップかけるみたいに綺麗にしてくれる。砂おろしに使われてたっていうのはそういうこと。笑っちゃうけど、俺大腸癌だったのよ。んで20〜30センチ腸を切ったの。そしたら持病の糖尿病が良くなったのよ。(それはたまたまですby真敬さん)言いたいは腸を綺麗にしておくと病気を予防する効果があるってこと。体にいいから食べてもらいたいだけ。でも、こんにゃくは薬じゃないから、美味しい必要がある。だから様々な商品を作って、お客様に喜んでもらいたい。玉こんを食べてもらうのが一番簡単だけど、同じものでは飽きるわけよ。こんにゃくってのは、好きなタイプの味を付けられるから、普我々が食べているようなものを、こんにゃくで再現することができるのよね。

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病気をして高めたこんにゃく技術

父は40代初期に糖尿病になったんです。それで今まで生きてるから強いんだよね(笑)。自分の体が実験台で、糖質のあるものを食べちゃダメって言われるから、自分の食べたいものをこんにゃくで再現していました。再現性が高くないとストレスになるみたいで。凝り性なんです。こんにゃくって本当に再現高く作れるんですけど、わざとこんにゃくだってわかるように、抜け感があるように作ることもあります。以前、こんにゃくを食べに来たのに何食べたかわからないって言われたことがあって、それがショックだったみたいで。とあるテレビ番組で、うちが作ったこんにゃくの刺身とフグ刺しを一流芸能人が間違えたこともあります。本気出しちゃうと本当にわからない。

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天才を生かす責任

父は本当に突拍子もないことを考える。天才なんですね。でも、天才を生かせるの我々なんです。天才を「おかしい人」で片付けてしまったら、ただの変質者になってしまう(笑)。でも父のような発想は私はできない。父は好奇心の塊ですからね。ファミレスに行ったらテーブルに料理を並べるだけ並べて一口だけ食べる。こんにゃくでフカヒレを作りたくなれば横浜の中華街に行く。それで本当に横浜に行ったら、これ気仙沼のだよって(笑)。でも、味の再現は私の方が得意。絶対音感の味覚版ですね。いろんなところに連れていってもらって、いろんなものを食べてきたから。父と外食に行く必ず、この出されたものをこんにゃくで作れないかという話になっちゃうので、母とか姉は一緒に行きたがりませんでした。料理が物質にしか感じられなくなるって(笑)。

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どうだスゴいだろ

今のところは売れたいからという理由で作っていません。それよりも、どうだスゴいだろっていう気持ち。その想いが伝わってるから、お客様がお店に来てくれるのかな。お客様のハードル上がっているので、私たちもハードルを超えていかなきゃいけない。それが合言葉。そうしなければ、こんにゃく屋がなくなってしまう。自分たちが作ったハードルを常に超えていけるように細部にこだわっています。今後は海外にこんにゃく広めていきたい。私の想いを言語化してもらわないといけないので、17歳になる息子が奈良でサッカーをしながら他言語を学んでいます。こんにゃくで本物そっくりに作っても外国の方にはなかなか伝わらないでしょ。ずっと近くで生活を見てきている息子たちに翻訳してもらえたら嬉しいですね。

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真敬さん大学時代、教授の勧めで大学院に進もうとしたらお父さんが全力でお断りを入れ、卒業式の後、逃げられないように部屋の荷物を全部お父さんが引き上げたという逸話があります。一見破天荒なお父さんですが、だからこそ、こんにゃくの可能性をここまで広げてこられたのでしょう。ちょっと変わった親子の絆がそこにはありました。