上山ラプソディ

上山の風景が浮かぶワインを

♯5

上山の風景が浮かぶワインを

岸平典子さん

100年続く上山ワインの元祖・タケダワイナリー代表。国内でもワインづくりに適している上山の土地の力、そして人の感性が一体となり生み出されるワインは多くの人を魅了してやまない。

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放蕩息子の先祖が見つけた土地

武田農園の初代は武田猪之助という人物で、明治初期に山形市沖の原地区の庄屋に生まれました。放蕩息子で、継げば武田家が潰れると言われ、「一生食べられる分あげるから出てってくれ」と勘当されて、山形市三日町に居を構えたそうです。でも、そのお金を10年20年ぐらいで使いきっちゃったらしく…。ただ、その間に上山に南斜面のいい土地を紹介されて求めていたようです。土地を買うだけ買って、小作人にやらせていたそう。だけど、上山がいい土地だっていうのは先見の明があったみたいですね。山が迫っていて斜面だけですが、当時は柿などが植えられるんじゃないかって。なので、武田農園としては初代が開墾したことになります。

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祖父の代から始まったぶどう栽培

二代目の重兵衛も遊び人だったみたいです。少しは農地を広げて農園系はやっていたようですが、60代で亡くなってしまいました。私の祖父にあたる三代目の重三郎は、お酒も飲まないし非常に働き者で商才がありました。放蕩の父親と祖父を見て育ったので、こういう生き方はいけないと思い、自分で農園をやるために三日町から上山へ居も移したそうです。祖父は非常に先見の明もあり、勘がいい人だったみたいで、上山のこの土地はぶどうや枝豆、苺などの高額商品を栽培するのに適していると思ったらしいです。上山のぶどうの父とも呼ばれている初代上山市長・高橋熊次郎に、とても可愛がられたと聞いています。熊次郎のおかげで近隣の農家にも広まったぶどう栽培でしたが、みんなが一斉に作り始めてしまったので腐りやすいぶどうを一気に流通できないという問題が出ました。そこで祖父が一手に引き受けて流通させる青果物商も始めたようです。それでも余ったものはジュース加工。でもジュースだけじゃ面白くないよねってことで、当時最先端だったぶどう酒づくりを始め、大正9年にワインの醸造免許を取得しました。

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日本でいち早くフランス種を取り入れた

父の重信もまた、勘もいいし働き者でした。東京農大の醸造学科に行ったのですが、本当は家業継ぐのは嫌だったようです。たまたま大学の教授にシャトー・マルゴーという戦後すぐには手に入らないようなフランスの高級ワインを飲ませてもらい「こんなに美味いものが作れるなら俺もやりたい」と上山に戻ってきた。でも、それを実現するためには品種が違う。マスカット・ベリーAもいいんだけど、カベルネ・ソーヴィニヨンとかメルローを育てないと、父が目指しているワインはつくれない、と欧州系に着手しました。国内でも欧州系の栽培を始めたのは早いほうだったようです。東南向きの斜面で平地があって、非常に水はけもよくて気象条件もいいという上山の特性はあるものの、蔵王の火山灰が降り注いでいる酸性土壌なので欧州系の栽培が少し難しい。ヨーロッパから土を持ってきて、上山の土に足りないものを調べたら、ミネラル分が足りない。有機的に貝殻の化石を入れたり、競馬場の堆肥を入れたり、土壌改良をして欧州系の栽培に成功したそうです。地形として、ここは蔵王の支流の須川と前川、蔵王川の扇状地なんですよね。世界的に見ても銘醸地は扇状地が多いんですよ。斜面があって日当たりがいいということと、水が土砂を削るので砂礫も出て水はけがいい。

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気持ちのいい雰囲気の中でワインをつくりたい

私は大学を出てからフランスにワインの修行に行きました。当時は後継者の兄も生きていたので、ただワインづくりを学びたくて。やはりフランスの方が条件がいいんですよ。5月にザーッと雨が降って、あとはカラッとしている土地。醸造だって、菌の繁殖が少ないから、衛生管理も楽に出来るし。ずっとそこに留まってワイン造りをする選択肢もあったんです。ワインの学校を出たので、フランスで醸造技術者としてやっていけるので。非常に悩んだ時期でしたね。結局なんで帰ってきたのかというと“上山だから”帰ってきたんです。もし他県だったら帰らなかったと思います。栽培の条件もそうですが、エアー…、雰囲気…、うまく表現できないんですけど。確かに欧州と比べると条件は悪いですが、上山は日本の中では条件はいいし、この雰囲気でぶどう栽培して、ワインをつくったら面白いんじゃないかっていう「何か」があるんです。地元という贔屓目もあるかもしれませんが。生まれ育った土地で、ぶどう栽培をしてワインを造ることの大きな意味をすごく感じていました。上山って何か「ある」んです。昼夜の寒暖の差とか湿度は高いけど、全体的に見れば冷涼で、夏がすごく暑いとか。そういうものも含めて上山なんですよ。気持ちのいい感じ。

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ここでワインをつくっている意味

上山に帰ってきたもう一つのきっかけがあります。父が欧州系の栽培に成功して「シャトー・タケダ」というカベルネ・ソーヴィニヨンとメルローのワインを1993年にリリースした時、「みんなで飲んで」ってフランスに送ってくれたんです。フランスに比べたら荒削りなワインなんですけど、悩んでいた時にそれを飲んで、バーっと上山の風景が浮かんできて、やっぱり帰ろうと思った。それが私の原点です。情緒的で具体的じゃないと言われることもありますが、どんなワインをつくりたいですかと聞かれた時に、「上山が分かるようなワイン」や「ここでぶどうを栽培してワインをつくっている意味がお客様に伝わるようなワイン」と伝えています。ワインを飲んで上山を思い出したり、戻ってこようと思ったり。または上山を知らずに飲んで美味しいと思った人が上山に来て「あのワインを飲んだ時の“美味しい”はこういうことか」となるようなものをつくりたいなぁって。

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つくる人ではなく、手助けをする人

そんなワインづくりのアプローチとして、ビオディナミや福岡農法などの自然のサイクルを活かし、自然と喧嘩しない栽培をしています。醸造も、ぶどうそのものを活かす。私はつくる人じゃなく、手助けするだけ。人為的なものは必要なんだけど、極力元のものを活かします。ぶどうに戻ったら、土に戻る、土地に戻る、というように。環境も大事にしていますが、現代社会に生きていては、できることとできないことがある。気候変動がある中で、腐りやすいぶどうを日本で栽培すること自体もジレンマですが、それも含めて自然なことなんじゃないかと思って。ジレンマを抱えながらも無理をせずやっていけば何かしらの結果がでて、それをお客さんが飲んでくれる。一生懸命頑張るのも必要なんだけど、無理をして出来上がったものをお客さんが飲んで本当に美味しいのかなって思う時があります。自然にやろうと無理をして結局不自然になっちゃう。農業って目標設定しても出来ないことがたくさんある。最善のことをやって結果が出ると「あれがだめだったんだ」っていう答えが見える。来年はそこをふまえて、また改善して最善のことをやる。そうするとまた見えてきて、再来年。ワインづくりは一年に一回しかできない。これまでに受け継いだことも大切にして、石積みを築くようなイメージで、強固な石を積んでいけばいいかなと思っています。

様々な偶然がつないできたタケダワイナリーの歴史。ワインを一口飲めば、気持ちの良い風が吹く農園に、岸平さんや祖先の方々が感じた「何か」が見えてくるかもしれない。最後に、ワインにはやはり地のものが合うとのことで、赤には山形蔵王も3大発祥地とされるジンギスカン、白には山形が誇る山菜の天ぷらやお浸しなどがおすすめだそうだ。