上山ラプソディ

娯楽と欲望の街を見つめて

♯2

娯楽と欲望の街を見つめて

塩野恵美子さん

上山生まれ上山育ちの居酒屋高太郎女将。娯楽の街でもあったかみのやま温泉の過去を知る貴重な人材。日本舞踊も達者な「えみちゃん」は、70歳を超えた今も明るく上山の夜を照らしている。

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水槽の中でストリップショー?

かみのやま温泉っていうと、東北一の歓楽街。上山さ行くと女もいて、飲み屋もいっぱいあって楽しいところだって有名で。競馬場もあったから、仙台あたりから来て安い旅館に泊まって、勝つと大盤振る舞い。売春禁止法が出る前までは女の人が着物でぞろぞろ歩いてた。旅館でなくてお店の前に立ってっけの。そういうの子供心にわかるから、ませてくる。あたしは床屋の娘でね、客のじいちゃんたちがおなごと遊んできたとか、そういう話いっぱい聞いた。ストリップ劇場とかもあって、水槽の中で裸の女の人が泳いでたりとか。

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上山に貢献してきた湯女たち

貧しい家の女の子が置屋さんに来て飯炊きしたりしてた。そういう人たちを湯女(ゆな)と呼んでた。湯女供養が今もあるのは、上山のために一生懸命働いたから。旅館の仲居さんに年配の人がいっぱいいて、経験談もよく聞いた。旦那を早く亡くして子供預けて女中やって、ぶっちゃけた話、座布団一枚でちょっと働いたっけの。今だと100歳過ぎてるような人。芸術スタジオっていうのもあった。体のきれいな人の写真撮るだけっていう店。その人が温泉に入りに来ると、きれいな体でね。

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かすかに残る全盛時代の面影

昔は芸者さんも多くて、もともと上山の「踊り山車」も芸者さんたちが乗ってた。芸者さんがやめてから私たちが乗るようになったのよ。今も芸者さん2人だけいるけど、お座敷に呼んで遊ぶようなお客さんもいねんだって。でも、スナックココのかあちゃんも元芸者で三味線弾くから、今でも弾いてけろって言われると聴かせてくれる。

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憧れの踊り山車

子供の頃、踊り山車の上で芸者さんが踊ってんの見て、あたしも踊りたいな~って思ってっけの。だけど金持ちとか旅館の娘とかしか習わんねっけから。お金かかっから。ダメだな~と思ってたらたまたまね、上山で踊りを教えるところができて。師匠の赤堀つる叟が教室開いた時に、あたし一番早く習ったのよ。その時40代だったけど、上山では一番古い弟子。今は踊り山車で私が唄って踊って、鐘も叩いてる。お囃子の唄に「おどろいた~おどろいた~お~ど~ろい~た~」っていうのがあって、私の声が街中響くから、恵美ちゃんの山車来た~ってみんな家から出て見てくれんのよ。おひねりとかご祝儀には松竹梅付けんの。大きい旅館からいっぱい入ると「松を3丁~!」と長い踊りを3つ。少ないのは「はい、これは梅ひとつ、短いの」って子供たちがお遊戯したり(笑)。

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静かな夜の街になっても

この店がオープンした平成3年あたりまでは街の中は賑やかだった。まさかこんな静かになると思わなかった。店の前の道路なんか人っ子一人歩いてない。でも、大変だった時期っていうのはなかった。決まったお客さんもいっぱいいるし、常連さんも知り合いを連れてくる。東京あたりから来てくれる人もいっぱいいんの。友達みたいになってよ。さくらんぼとかラ・フランスとか送ってやったり。息子も、一見さんをも大切にすっから。

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カウンターが縁結びの場

6年前くらいに、山形のお酒が好きだからって一人旅で来た看護師さんがいてね。彼氏いないのかって聞いたら、いないって。たまたまそこで飲んでる人が、「知り合いに良い人いるから会ってみねか」ってなって、会うことになってよ。2年くらい遠距離恋愛して結婚して子供生まれて、上山で看護師してる。そういう風にここで出会って友達になったり、結婚した人いっぱいいる。息子も面倒見が良くて、バンバン飲ませて食わせて。アットホームな店。かーちゃんもガラガラっておもしゃい人だ~って。初めて来た人はおどおどしてるから、下まで迎えに行って、どうぞ~ってカウンターに座らせたりね。

ペーンと立って、パーンとして

あたしらくらいの歳だと、ばばちゃんで化粧もしねで杖ついて歩いてる人もいっけど、息子の店でこうやって働かせてもらってありがたい。時々自分の店みたいに威張ってて息子にごしゃがれんの(笑)。でも、78歳でペーンと立って、パーンとして、耳も聞こえるし目も見えるし。時々あっちゃ持ってく料理をこっちゃ持ってったりして息子に怒られちゃうけどね(笑)。

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幼い頃から上山を見つめてきた恵美子かーちゃん。取材中、電話が来たり、業者さんが来たりで忙しそうにしながらも、ガラガラっと笑いながらお話を聞かせてくれた。昔を知り、歩く地図とも呼ばれていて、上山の顔でもある。踊り以外にも、もんぺを履いて加勢鳥に水をかけたり、テレビ取材があれば全力で応じ、上山を明るく盛り上げてきた。高太郎さんの料理の旨さもさることながら、かーちゃんから元気をもらいに、市内はもちろん、全国から訪れる客が絶えない。